本人像 80代 女性 要介護4
利用までの経緯
18年前に脳梗塞を発症。数か月の入院生活を送ると同時に家政婦を依頼。それ以降、本人と義理の妹、家政婦の3人での生活が16年続き、本人の身の回りのことはすべて家族と家政婦が行うようになった。そのため、本人が自発的に動く前に、用意して与えるという介護だった。そして長年いた家政婦が辞めた事をきっかけに訪問介護の利用が始まる。長年の過保護な介護によるためか、本人は表情も言葉も乏しく、コミュニケーション力は首を縦と横に動かすぐらいで、歩行もできず、食事もその他のことも全介助が必要な状態であった。
援助の方針と働きかけ
健康で自立した在宅での日常生活が送れるように支援するため、残存能力の維持と向上を図り、社会参加の機会を増やして変化のある楽しい生活にする。
自立支援
当初は、言われなくても先回りして何でもしてくれた家政婦のやり方ではなく、本人に1つ1つ自己決定をしてもらう自立尊重のヘルパーのやり方に対し、本人や家族は不親切だと感じ、「なんであんたはやってくれへんのや。家政婦はしてくれたで!」という会話が長い間続いた。ヘルパーの意味を本人と家族に理解されない間、ヘルパーは大変悩んだがそれでも耐えた。そして、無理だと本人が思っていることに対しても、一度はチャンレンジしてもらう姿勢を続けたことで、当初全介助であった食事は、食べやすい大きさに切るだけで本人が自分で食べるようになった。そして、何でも「いっぺんやってみ」と声をかけ続けることで本人は挑戦する意欲と喜びを感じるようになり、歩行についても、何年も這いずりしかできなかったが、現在は歩行が可能になるまでに改善し、コミュニケーション力も言語障害はみられるものの、歌ったり、笑ったり、話したりと感情豊かに変わり、リハビリメニュー以上の事を望んで積極的にコーラス部に入り、みんなと日々練習に励むようになった。
利用者・家族の声
本人:「100歳めざしてがんばる!ヘルパーにも同じように健康でいてほしい」
家族:「本当にヘルパーには感謝している。もっと早くヘルパーに来てもらっていれば、もっとできることが増えていたかもしれない」
結果とまとめ
「訪問介護」とは、基本は介護保険で提供可能なサービスを、各家庭のルールを守って利用者の過去の生活に近づけるように、利用者の好みや家事の仕方などあらゆる箇所に気を配り、ヘルパー全員が統一したサービスの提供を図ることは大事であるが、利用者のペースやニーズに合わせるだけでなく、時には自立へ向けた支援を進めていく上でかまい過ぎない厳しい姿勢も必要である。本事例では、ヘルパーは本人や家族との確執を乗り越えて大変感謝されている。介助とは、代わりにやってあげることではなく、あくまでも自立支援が目的であり、自己決定権の大切さを理解し、できないことをできるように支援することである。本事例はまさにその大切さを実感する事例であったと言える。